科学コラム「THE WORLD OF CFD」 2003年3月28日 出版社/山海堂 18万部発行
筆者 矢口昌義
近年の「モノ造り」を取り巻く周辺事情は、大きく変化している。航空宇宙工学の世界で進歩発展してきたコンピューター支援技術が航空機以外の業界にも利用され始めたのである。F1グランプリで車体ロゴに見受けるCATIA(キャティア)の文字は、仏ダッソーシステムズ社が開発した世界最高の3次元CADソフト群である。ダッソーはミラージュ等の戦闘機を生産する航空機メーカーである。またジャガーのスポンサーである「EDS」が誇る3次元システムのUnigraphics(ユニグラフィクス)は、マクダネルダグラス(現ボーイング)の系列会社となるユナイテッドコンピューティングが1970年代前半に開発を始めたソフトである。
更に構造解析ソフトで有名なMsc.Nastran(ナストラン)は、あのNASA(米国航空宇宙局)が開発した汎用有限要素法構造解析プログラム(*1)だ。これら3次元でシミュレーションしながら設計開発を行うシステムの能力は、常人の想像をはるかに超えるレベルである。採用した企業とそうでない企業の技術的時間差は、100年以上の差が生じるとさえ思えるほどだ。そんなシステムを開発競争に明け暮れるF1チームが見逃すはずがない。
私、矢口昌義が執筆させていただくこの連載では、これら世界最先端のシステムと「F1マシン」の関わりを詳細に解説していく予定である。開発期間の短い航空宇宙や軍事と並ぶような科学技術の頂点を演出する、F1グランプリという極めて過酷な世界の舞台裏を読者の皆様に解りやすく解説できればと思っている。
エンジンパワーをレギュレーションによって低く押さえられても、コースレコードは年々、塗り替えられている。その一翼を担うのが、空力デバイスであり電子制御技術である。ここ数年のF1マシンの滑らかで複雑な3次元曲線を産出しているのが、CFD(Computational Fluid Dynamics/計算流体力学)である。風洞実験だけでは、詳細に解明できなかった部分をCFDによって明らかにした結果、あのような複雑な空力デバイスが産まれたともいえる。
各サーキットで毎年コースレコードが更新されていくが、考えられる理由の内訳の中で目立つのがコーナリング速度の向上である。ではコーナリング速度を向上させるにはどうすればいいのか。それはコーナー外周に車体を飛ばそうとする「遠心力」に打ち勝つための「グリップ力」を向上させることである。
遠心力は「質量とコーナー半径とコーナリング中の速度」で決まり、対するグリップ力は「車輪荷重の総和×摩擦係数」で決定される。つまりコーナリング速度を上げるためには、車体重量を増やさずに車輪荷重だけが欲しいのだ。そんな都合のよい荷重というのが「ダウンフォース」なのである。ここが大切なのであるが、ダウンフォースは質量にはならないのだ。だからF1チームのエンジニアは寝る間を惜しんで空力の研究をするのであり、研究を効率化させるためにもCFDが活用されるのだ。
一方空力には、ダウンフォース等の力学的な要素以外にもう一つ重要な仕事がある。それが「冷却」である。例えばエンジンパワーを発生させるには、燃焼室内で爆発が繰り返されるから、熱が発生する。あるいはストレートを猛スピードで突っ走れば、コーナー手前で減速しなければならない。当然、ブレーキを踏めばディスクローターが熱くなる。運動エネルギーを熱エネルギーに変換する装置がブレーキだからだ。
そこで、猛暑のブラジルのGPの頃には、流れる空気が熱を奪っていく様子を流体解析できればと考えている。
さて、CFD/流体解析とは、どういう手順を踏むのか、一連のフローをご紹介しよう。
1. 実車の計測をしながらモデリング or 発案した形状をモデリング。
2.3次元データを基に解析用のメッシュを切る<周りの空気を連続した三角錐に分割する>。
3.マシンの速度や空気密度など流体解析に必要な条件を設定する。
4.ソルバー<解析に使う方程式>(*2)を選んで解析を実行。結果をビジュアルに可視化。
以上のような流れで、CFDは実現する。ここでお気づきだと思うが、CFDでは3次元データさえ存在すれば、風洞実験のような実物は必要ない。しかし3次元データは必要なのである。まるで「ニワトリと卵」の話になるが、F1マシンの開発期間短縮を語るうえで欠かせないテーマなのだ。
航空機の翼は、より大きな荷物を載せて、より短い滑走路で離陸できて、とその必要条件を満たすために「翼型」についての研究が過去数十年、風洞において続けられてきた。ほんの僅かなスプライン曲線(*3)の違いが大きな違いをもたらした。設計者が思いつき描いた曲線の全てのモデルを試作して風洞実験をするという試行錯誤を繰り返してきたのだ。
しかし、CFDにモデル試作の必要はない。設計者は3次元CADで作製したバーチャルな3次元モデルを基に流体解析を実行できるのだ。試行錯誤するにしても無駄がなく、スピーディ。あるチームがCFDを導入して既に自分のモノにしているとする。すると導入していないチームには、もう勝ち目はない。
「風洞実験を1日3交代で行っているチームが・・・・・」
と風洞実験がクローズアップされるが、そんなに風洞実験で確認をしなければならない程に前工程のCFDでテーマが発見されているという点に驚くべきだろう。
最後に、この連載では流体解析のみに留まらず、サスペンションやミッションの構造解析にも挑戦してみたい。最新の構造解析ソフトによって走行中に発生する入力を予想しサスアームに発生する応力をビジュアルとして紹介したい。
ただし、F1は最高レベルの機密保持が要求される世界ゆえにサンプルとなる形状データが入手できるかどうか、がキーになるだろう。読者の皆様に楽しんで読んで頂けるよう情報収集に努力したい。
*1汎用有限要素法構造解析プログラム
有限要素法は最も普及した数値解析手法。解析する対象を立方体などに分割して各種の解法を用いて解析を行う。
*2ソルバー
解法の意味。近年ではより高速に精度良く処理をするために様々な解法が開発されている。
*3スプライン曲線(Spline)
与えられた点列を通る最もなめらかな曲線のこと。
- CONTENTS -
1 | AUSTRALIA オーストラリアグランプリ | F1流体解析を可能にするテクノロジー | 2003.03.28発行 |
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2 | MALAYSIA マレーシアグランプリ | リヤウイングの抵抗に打ち勝つだけで126馬力も必要 | 2003.04.11発行 |
3 | BRAZIL ブラジルグランプリ | フロントウイングの地面効果を探る | 2003.04.25発行 |
5 | SPAIN スペイングランプリ | 翼端板“コーン状のくぼみ”の秘密 | 2003.05.23発行 |
6 | AUSTRIA オーストリアグランプリ | 空力評価とは実際にどうやって行うのか? | 2003.06. 6発行 |
7 | MONACO モナコグランプリ | フロントウイングはまるで空気のレンズ | 2003.06.20発行 |
8 | CANADA カナダグランプリ | フロントウイングはまるで空気のレンズ2 | 2003年7.4発行 |
16 | JAPAN 日本グランプリ | Williams FW24 の全体解析 | 2003.11.20発行 |
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