科学コラム「THE WORLD OF CFD」 2003年11月20日 出版社/山海堂 18万部発行
筆者 矢口昌義
2003F1グランプリシーズンにTHE WORLD OF CFDを連載させていただき、ついに最終戦日本GPを迎えることができた。2週間に1度やってくるGPに併せて各テーマを流体解析するというハードスケジュールに翻弄されるのもこれで最後かと思うとホッとする。というのは冗談だが、今号は2ページに拡大してF1マシンの全体解析をお届けする。全体解析に至るまでには断片的に経過報告などをさせていただいたが、初めて読んでいただく方にも解っていただけるように、これまでのことを少しご紹介していきたいと思う。
昨今のF1グランプリにおいて車体の空力対策が極めて重要になっていることは周知の事実である。なぜ重要かと言えば、総重量600kg程度しかないF1マシンに900馬力もの出力のエンジンを搭載し、単純な直線路ではなく、多彩なコーナーが連続するサーキットを「なるべく速く」走りたいからだ。とはいえ、これは物理学的に不整合な、無理な話だとも言える。コーナーをより速い速度で回るにも、より高い加速度で加速するにも、強烈な負の加速度で減速するにも、すべて車体重量はより軽いことが求められる。しかし当然F1も自動車だから路面との接点は4つのタイヤのみだ。その4つのタイヤにより高いグリップを発揮させるには、より大きな輪荷重を与える必要がある(タイヤのグリップ力=輪荷重×摩擦抵抗係数)。もう、この時点で矛盾していることがお解りだと思う。「車体重量はより軽い必要がある」くせに「輪荷重はより重い」必要があるとは……。だが、この矛盾点を解決する唯一のフォース(力)がある。それが車体表面を流れる速い気流の生み出す「ダウンフォース」である。この力は都合がいいことに質量を伴わない。コーナーを速く回るには、これほど都合のいい力はない。
しかしダウンフォースも都合のいいところばかりではない。一般的に強烈なダウンフォースは、強烈な空気抵抗を生み出してしまうのである。そこで「より大きなダウンフォースを得て、なおかつ空気抵抗は小さく」といった車体デザインを行うために空力対策が重要視されているのである。
その空力対策を行う開発ツールのひとつが、このコラム「THE WORLD OF CFD」がテーマとしたCFD(Computation Fluid Dynamics/計算流体力学)である。みなさんがよくご存知の風洞実験が実測なら、CFDはシミュレーションだと言える。全号までの13回の連載でその詳細をご案内したので、ぜひバックナンバーをご覧いただきたい。
今回のTHE WORLD OF CFDを読んでいただくと、F1マシンの車体表面を流れる気流を制御するために車体各部に工夫された空力パーツの意味が少し理解していただけるかも知れない。
さて本論に入ろう。全体流体解析では2002年のウイリアムズのマシン、FW24をテーマとした。解析ソフトにはソフトウェアクレイドル(日本)の「SCRYU/Tetra」を用いた。ハードウェアには、日本ヒューレット・パッカードのワークステーション「zx6000」を用いた。F1マシンの全体解析では、要素数が2000万要素を超えるため処理能力の極めて高いワークステーションが必要なのである。「zx6000」はWindows64bit環境でインテルItanium2 900MHzプロセッサを2基搭載し、メモリも8GB搭載した。これは、一般的な家庭用のパソコンの30台分に値するメモリ容量である。このワークステーションは、原稿の締め切りが迫る中で実に高速な演算処理能力を発揮してくれた。
まず全体図として画像?をご覧いただきたい。昨年、2002年に活躍したウイリアムズFW24の車体全体を流体解析した解析結果である。解析時の走行速度は200km/hである。色相は圧力の分布を表している。車体の中でも空気と最初にぶつかる部分が、赤くなって圧力が高いことを示している。ダウンフォースを生むために迎角を与える必要のあるウイングや空力的には劣等生びタイヤ、そしてエアインテーク等が際立って圧力が高い。この部分は、車体を後ろに押し戻す作用を持ち、空気抵抗を生んでいる。空気抵抗の中でも「圧力抵抗」と呼ばれる、ぶつかることで圧力が高まり抗力を生む種類の抵抗である。
回避策としては、できるだけ角度を寝かせるとか、尖らせて先端半径を小さくするなどの手段が考えられる。F1の場合、完璧に近いほどその対策が施されている。画像?には、赤い部分(圧力のかかる場所)がなんと少ないことか。
画像は、車体下面の空力対策がいかに進んでいるかを物語る「流線図」である。細い流れ線の色相は圧力分布を示している。地上高さ30mmの位置を流れる気流が車体下面を流れて後端のディフューザーから綺麗にまとまって吸い出されていることが観察できる。画像?ではさらにハッキリと観察できる。流線の青い部分は圧力が低いことを示しており、この部分の流速が速くなっていることが解る。車体下面を流れてきた気流の経路をディフューザーで、リヤウイングが発生させている車体後方の強烈な負圧にバイパスさせることによって、流速を増やし減圧させて吸い出そうという仕組みである。リヤタイヤの影響を避けるために、気流を中央に集約させて下面の気流を排出する意図が仕切り板からも読み取れる。
このディフューザーの集積効果はかなり強力なもので、地上高さ30mmの位置の気流を幅1500mm、つまりフロントウイングの幅いっぱいの気流もすべてセンターディフューザー(中央部の仕切板の内側)に集約して後方に排気することが可能である。つまり地上高さ30mmの気流はすべてセンターディフューザーの、幅220mm程度の仕切板の内側から吹き抜けているのである。
また中央仕切板より外側のサイドディフューザーは、地上高100mm程度の位置まで上がった、ディフレクター外側を流れ、その後サイドポンツーン外側を流れて車体下面に巻き込んだ気流を車体後方に排出する役割を担っている。
画像では、フロントウイング下面が発生させている強烈な負圧によって集約された気流が、高い圧力を得て淀まないようにディフレクターによって誘導され減圧されている。実はこの位置の気流は、中央に絞り込んだほうが画像?に観られるフロントタイヤの生んだ内側の低い位置の乱流を避けることができるのだ。何もしなければ、気流が流れ込みにくく淀みやすい車体下面の気流は、圧力を高めて車体をリフトしてしまう。それを防ぐのがフロントウイングの役割でもあり、減圧して増速し、ディフレクターで進路を広げつつスキッドプレート下面に吸い込むのだ。そして下面を通貨させ、さらにディフューザーで吸い出す。といった、まるで三段ポンプのような空力対策である。
画像は、今度は地上高430mmを流れる気流の流線の様子である。フロントノーズに押し上げられた、この高さ以上の気流はすべてが車体上面を流れる5mm低い425mmの高さでは、ラジエターのインテークに向かう流線も観察される。この流線からまず見て取れるのは、コックピッドのドライバーがどれほど流れを乱しているかである。言い方を変えれば、ドライバーのヘルメット前面には強烈な圧力抵抗が発生し首にものすごい負担がかかっていることは想像に難くない。本当に小さくチョコンと設けられた風防だが、ドライバーへの風除けの役目はまったく果たしていない。フロントノーズの形状もドライバーへの負担を軽減する方向では考えられていないようだ。ただ画像?で注目してほしいのは、前方から流れてくる地上高さ430mm、幅600mmの流線のすべてがリヤウイングに向かってきれいに流れ込んでいくことである。この高さ430mmの位置の流線がもっともリヤカウル表層を流れる気流であるが、1.5倍の幅を持つリヤウイングにほとんど層流の状態できれいに流れ込むことは、リヤウイングのダウンフォースを確保する上で大変に重要なのである。昨今、エンジンとミッションケースの小型化が重視されるが、その小型化なくしてこの層流はない。またドライバーのヘルメットが乱した中央付近の流線は、リヤカウルが延長されリヤタイヤとも隔壁のように立てられたシュラウドによって見事にウイング下面、翼端板の内側に流し困れ込まれている。
画像は地上高さ50mmの流線である。ハイノーズの下を流れる気流だ。フロントウイングを擦り抜けて少し持ち上げられた気流は、外側ではディフレクターで整流されつつセンターキールにぶつかり左右に分断される。そしてサイドポンツーン前部でラジエターへ導かれる気流と車体外部を流れる気流に分断される。この外部を流れる流線が実にピッタリと表面に沿ってサイドポンツーン後部の絞り込みにも剥離することなくリヤタイヤ内側に流れていく。
このことがCd値の低減に大きく貢献している。このリヤカウルの形状を絞り込んでも気流が沿わなければ何の意味もないので、実に周到なデザインが要求される個所だ。画像?は地上高さ60mmの流線だが、センターキールにうまく分断されて左右に振り分けられている。ハイノーズの本当の狙いは、フロントノーズが発生させる弊害を最小限にすることだが、フロントウイングの面積を確保してより大きなダウンフォースを得ることとラジエターやオイルクーラーへの充分な流量を確保することがその核心にある。
画像は地上高さ50mmの流線である。ハイノーズの下を流れる気流だ。フロントウイングを擦り抜けて少し持ち上げられた気流は、外側ではディフレクターで整流されつつセンターキールにぶつかり左右に分断される。そしてサイドポンツーン前部でラジエターへ導かれる気流と車体外部を流れる気流に分断される。この外部を流れる流線が実にピッタリと表面に沿ってサイドポンツーン後部の絞り込みにも剥離することなくリヤタイヤ内側に流れていく。このことがCd値の低減に大きく貢献している。このリヤカウルの形状を絞り込んでも気流が沿わなければ何の意味もないので、実に周到なデザインが要求される個所だ。画像?は地上高さ60mmの流線だが、センターキールにうまく分断されて左右に振り分けられている。ハイノーズの本当の狙いは、フロントノーズが発生させる弊害を最小限にすることだが、フロントウイングの面積を確保してより大きなダウンフォースを得ることとラジエターやオイルクーラーへの充分な流量を確保することがその核心にある。
画像は車体周辺の乱流域を表している。画像からはみ出しているが、リヤウイングが後方に形成するの狐の尻尾のような乱流域が体積的にもっとも大きい。これが同時に大きな負圧領域になり車体を後方に引っ張る抗力となる。次に空力劣等性のタイヤ、特にフロントタイヤが発生させる渦が大きい。このフロントタイヤ周りに左右に形成された乱流域を避ける役目を担っているのがフロントウイングである。モナコGP号で「フロントウイングはまるで空気レンズ」というテーマでフロントウイングの持つ気流のレーンチェンジ機能をご紹介したが、今回の全体解析でもその効果が確認できる。
画像?は車体後方の乱流域を車体中心線の垂直面と路面の水平面に、乱流エネルギーの分布図として色相で表したものである。赤いほど強い乱流域であることを示している。この車体後方の乱流域は圧力も低いと考えてよい。よく前走車の後方にピタリとつけるとダウンフォースを失い冷却風も低減するので「ある程度間隔を空けて追走する」というシーン見受けられるが、まさにこの解析結果からもそのテクニックの妥当性が検証されている。
最終回である今回、ようやくF1マシンの車体全体の流体解析をご紹介することができた。昨秋まで一部の巨大資本だけが成し得る超最先端のテーマであった大規模流体解析がこうやって可能になったのは、Windowsが64bit化され1タスクあたりの担保できるメモリ容量が無制限になったことが大きい。さらにそれを支えるハードウェアとしてインテルItanium2を搭載したワークステーションが市販されていることが成功への原動力となった。また解析に先立って必須となる3次元モデルデータの作成については、最先端の3次元CADを使用した。このCADの特徴である柔軟で強力なサーフェスモデリング機能が大変役に立ったことは言うまでもない。今回の解析結果がもたらしてくれる情報は、昨今のF1マシンの空力を語る上で大変に有効である。今回だけでなくまた別の誌面をかりて、より詳しくご紹介できればと思う。 最後に一年間の連載を支えてくださったエンジニアの方々と読者の皆様に感謝の気持ちを伝えたい。
F1マシンを実際に開発しているエンジニアに私の取り組みをぶつけてみて イーグルス氏から大変な賛辞を頂くと共に様々なアドバイスを頂きました。
その模様を山海堂の雑誌「F1モデリングvol.16」でカラー4ページの大特集として報道させて頂きました。
また秋には、名古屋工業大学で開催されました「中部CAE懇話会」において「F1マシンの大規模流体解析」について講演させて頂き 多くの自動車メーカー、航空機メーカーの開発者の方々 また名古屋工業大学の流れ領域の先生方にご好評を頂きました。
講演会についてはこちら ≫
- CONTENTS -
1 | AUSTRALIA オーストラリアグランプリ | F1流体解析を可能にするテクノロジー | 2003.03.28発行 |
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2 | MALAYSIA マレーシアグランプリ | リヤウイングの抵抗に打ち勝つだけで126馬力も必要 | 2003.04.11発行 |
3 | BRAZIL ブラジルグランプリ | フロントウイングの地面効果を探る | 2003.04.25発行 |
5 | SPAIN スペイングランプリ | 翼端板“コーン状のくぼみ”の秘密 | 2003.05.23発行 |
6 | AUSTRIA オーストリアグランプリ | 空力評価とは実際にどうやって行うのか? | 2003.06. 6発行 |
7 | MONACO モナコグランプリ | フロントウイングはまるで空気のレンズ | 2003.06.20発行 |
8 | CANADA カナダグランプリ | フロントウイングはまるで空気のレンズ2 | 2003年7.4発行 |
16 | JAPAN 日本グランプリ | Williams FW24 の全体解析 | 2003.11.20発行 |
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